福井地裁の判決文は、やっぱりスゴイ。

NPJで5月21日に配信された
『【速報】大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文を掲載します』という記事が、
なんと1.9万「いいね!」を表示している!
こりゃ、もっと伸びるんじゃないかと思ったりしますが、
この数字からも、原発事故と今後の原子力政策に対する人々の関心は高いと推定できます。
もちろん、この判決文には賛否両論あり、
支持する人は、「格調高い文面」「命の大切さを表現している」等々と言い、
(ネットで引くと、支持派はたくさん出てくるのでそちらを参考にどうぞ)
不支持の人は、
「裁判所に地震の危険性を評価できる専門性はない」
「田舎の裁判所が勝手に安全基準を決めるべきではない」
「幼稚な判決で、100%最高裁で覆るだろう」

等々と意見を述べています。

自分の意見や態度を決めるときに、自分が持っている「信念」だけに頼らず、
右と左両方の意見を照らし合わせて判断することが重要だと思いますので、
私は判決文と、それに対する不支持派の意見両方読んでみました。
そしてやっぱり、判決文はスゴイ!という結論に達したわけです。

何故スゴイかというと、
この判決文が、あまりにも「あたりまえ」のことを、ブレずに、貫き通してるからです。

アタリマエその1.
 人格権(個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益)は、経済活動に優先する
アタリマエその2.
 原発は、いったん事故を起こすと長期間、大勢の人の人格権を侵す
アタリマエその3.
 「原発には安全性が保たれている」という主張には根拠がない

この3つのアタリマエ事項って、一般国民が一番言いたかったことだと思うんですよね。
そして、私が何より気に入ってる文言は、
『豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、
これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である』
という一文です。コレ言い切るの、むちゃくちゃカッコイイ。
原発だけでなく、農業や公共事業に関わる政策にも、言ってやって欲しい一言です。

多くの国民、つまり、先般の「国民の貯蓄額1739万円」の平均に達しない7割の人たちは、
この判決文を読んで、
「自分たちのことを顧慮してくれるエライ人が一人はいる!!」
と、希望を持ったのではないでしょうか。
判決文の最後の文章、
『原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、
原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、
福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、
環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。』
というところでは、
「いよっ、大岡越前、名裁き!!」
と声をあげたくなるほどでしたよ(笑)

不支持派は、
原発の安全対策の充実や原子力規制委員会の安全審査基準、
また、巨大地震発生の不確実性を根拠に判決文を批判していますが、
判決文は日本国憲法に則ったものであって、
その憲法の基本は「個人の尊重」ですから、
その個人の尊重が広範囲に侵される可能性がある原発の稼働を排除する、
という裁判所の判断は、きわめて妥当なものだと私は思いました。

巨大地震が起きるという保証はなくても、
「想定を超えた巨大地震が起きて原発が壊れ、甚大な放射能汚染に繋がった」
という事実が、現実的に「原発の安全性」を覆したのですから、
カール・ポパー風に言えば、
「原発は、科学的に考えられた強固な安全対策に守られているから絶対に安全」
という因果律への反証となっていることは間違いないです。
そうであれば、
福島原発の事故原因を徹底的に追及して、
こうすれば「絶対に」安全!という反証を以て、国民を納得させるのがまず筋でしょう。

裁判所が安全基準を決めるなとか、地震の発生率を科学的に証左すべきだとかと反論するのは、
そもそも、この判決文の趣旨からは外れているのではないでしょうか。
更に、↑リンクの石井孝明氏のコラムでは、
「一部の人の人格権を過度に尊重して、社会全体の利益、他人の価値観を尊重しない、
雑駁な議論を裁判所が行ったことに私は驚く。福井地裁の論理を使えば、
自動車や飛行機などの安全性の判定を、その規制法に基づいて、
「危険を感じて人格権を侵害される人のため」として裁判所が行えることになりかねない。」
と批判していますが、
そもそも日本国憲法が主眼を置いてるのは「個人の尊重」であって、
もっといえば、「社会全体の利益」を「個人の利益」より上とみるのは、憲法から外れていると思いますし、
自動車や飛行機を比較対象として持ちだしても、
判決文では、
「大きな自然災害や戦争以外で、
この根源的な権利(人格権)が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは
原子力発電所の事故のほかは想定し難い」
と明記していますので、反論になっていないんじゃないかと思います。

石井氏の批判の中で言えば「他人の価値観」は「公共の福祉」に当たるかも、と思いますので、
これだけが判決文に物申せると思いますが、
ならば、原発推進、反原発、とグループ分けするのではなく、
国民全体が、どんなエネルギーを求めるのか、どれだけのリスクなら覚悟できるのか、
更には、これからの未来、どんな生活を送りたいのか、
国民の考えとして踏み込んで議論するべきではないでしょうか。

利権が絡む限り(政治家や官僚の多くは利権に左右されるので)、
大企業寄りの政策になることは、今までの経験上間違いないでしょうし、
それを、「社会全体の利益」と断定されても困ります。
確かに、化石燃料を燃やし続けるのは環境上もよくないことですので変えて行かないといけないと思いますし、
でも、だからと言って対案は原発だけですか??ってことにもなります。
例えば、
脱原発がもたらすリスクの一つに、エネルギーの不安定性が入りますが、
多くの国民が「がまんできる」といえば、それでもいいんじゃないかと思います。

まぁ、この判決はエネルギー問題を裁いたものではないので代替エネルギー議論はおいといて。
この機会に、日本国憲法を読み直してみましたが、
結局、憲法というのは、まさに「こころ」の問題なんだなぁ~、と感じました。
科学論文ではないのです。
「一番大切なのは個人の尊重だから、それを達成できるように、考えて行動しなさい」
と言ってるに過ぎないんですよね。
特に、国家権力を戒めてるように感じるんですが、
今、安倍首相がやろうとしている「集団的自衛権」問題は、
まさにこの憲法の曲解ですよね。

言葉というのは曖昧で、確実に何かを表現できるものではないので、
解釈の罠が常に付きまといます。
それにブレーキをかけるのが、人間としての「こころ」の在りようなんでしょう。

原発問題も然りです。
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by nasuka99 | 2014-05-26 15:49 | think