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真の問題はどこかに隠れてる

今夜のNHKスペシャルは、アキバ通り魔事件の分析です。
この事件の容疑者は、某掲示板では「神」と奉られているらしい・・・
そんなネットのダークサイドと、
「家族の崩壊」「ハケンの悲哀」などを絡めたストーリーになるようです。

新聞報道等でこの事件を追ってみてると、
容疑者は確かに、「ハケン社員だとないがしろにされる」「家族なんていない」などと発言しており、
まさに現代社会の暗黒面を1人で背負っているような印象を与えていますが、
実際のところ、どうなんでしょうか。
私には、「空っぽの自分」を埋め合わせるために、
世間で非難の的となってる「ネット」「ハケン」「孤独」のステレオタイプを、
そのまま当てはめて、身にまとっているような気がして仕方がないんですが・・・
おそらく、
世に不満を持つ若者たちは、
思考停止に陥ってる自分をつくろうために、社会にその罪をなすりつけているんじゃないか、
なんだかそう感じてしまいます。

もちろん、自分と言うものを持てないような教育をしているのは大人です。
自分もその教育現場で育ってきたのでわかってるつもりですが、
日本では、自分で考えたり主張したり、誰かと意見を闘わせたりする教育をしない。
「和」だとか「みんな仲良く」などという、実際にはありえない言葉で子どもたちをてなづけ、
現在に至っては教育現場から個人競争を取り上げ、
何かあったら保護者と教師が相談して子どもたちの先回りをし、
最初から問題が起こらないようにお膳立てをする。
でも、子どもたちが社会に出たとき、
そこで待ち受けてるのは子ども時代とは比べ物にならないほどエグイ競争なわけで。

問題なのは、育っていく中で、自分と言うものを確立していないことです。
保護者と学校が総力を挙げてあらゆる問題を排除しようとした結果、
子どもが自分のアイデンティティとして持っているのは「守られている自分」。
けれど、ひとたび社会に出たら、どこにも守られている自分は存在しない。
アイデンティティがなければ自分は存在し得ないので、再構築するしかありません。
その際、思考力を育ててこなかった結果、
マスコミで騒がれるステレオタイプに自分を当てはめ、危うく立ち続けるわけです。

これは、アキバの容疑者も高級官僚も一緒なことだと思うんです。
アキバはたまたま反社会的なアイデンティティを適用しましたが、
人のカネで潤う官僚は、そのステレオタイプに自分を当てはめているだけです。

実際、コワイです。
そんな教育が、学校や家庭で今も続いているんです。
統治する方は思考力ゼロの国民の方が扱いやすいかもしれませんが、
人間は、自発的に成長する生き物なので、
その成長の方向を阻害されれば、別の方法でバランスをとろうとします。
たまたまいい方向に行けばいいんですが、そうとは限らない。
氾濫する情報に翻弄されて、一体何が自分の思考なのか益々わからなくなるし、
そういう意味では、劇場型の犯罪は今後も増えるかもしれません。
模倣するのが一番手っ取り早いですからね。
(そのためのテキストはいたるところに転がってる・・・)

マスコミの分析にそうだそうだとうなづく前に、
私たちはもうちょっと真剣に、立ち止まって考えるべきかもしれません。
今私が考えてることは、本当に私が考えたことなのだろうか・・・と。
by nasuka99 | 2008-06-20 16:36 | think