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ニセ科学とレトリック

モーツァルトを聴かせながら育てたトマトは甘みが増すし、
熟成させた味噌はおいしいし、ワインや日本酒もおいしくなる・・・
というような話をよく耳にします。
特に大学の先生が実験に加わったものは新聞にも取り上げられやすく、
いつぞや、鳥取大学での研究結果も目にしたような気がします。

昨日のサイエンスカフェでもこの話題が出たのですが、
菊池先生の回答は、
「モーツァルトを聴きながら熟成させたワインだよ~」
という付加価値をつけるのは、
飲む方も「おお、私もモーツァルト好きなんだよね~」
と共感を得るだけなので問題ないだろうが、
それで「おいしくなる」とうたうのはいかがなものか、ということでした。

確かに、低いベースやドラムスの音は、空気を振動させやすく、
それが物質の入った容器に伝わって中身を振動させ、撹拌させることによって、
風味が違ってくることは物理的にあり得ると思いますが、
物質そのものが音楽を理解するというのは、科学的に無理があるような・・・
もしもこのような実験結果が本当であるなら、
それは、物質が音楽を「理解して」変化したのではなく、
音の振動という物理的エネルギーが何らかの作用を及ぼしたと解釈する方がスッキリするし、
追試もしやすいと思います。

でも、人間って何故か「水からの伝言」のように、
物質そのものが「意味」を理解すると思いたいようですね。
そう仮定してしまうと、
物質が物事(言葉や音楽)を理解するメカニズムを証明しないといけない。
その方がかなりややこしくて実質的に不可能のように思えます。

人間がモノにも意思があると感じてしまうのは、
アニミズムに見るようにもう人間の性質の一つとして捉えた方がよさそうですが、
だからこそ、レトリックという手法が重要な意味を持ちます。

大辞林(三省堂)で「レトリック」を引くと、

[1]修辞学。美辞学。
[2]文章表現の技法・技巧。修辞。
[3]実質を伴わない表現上だけの言葉。表現の巧みな言葉。

となっています。
まぁ、私たちも日常でよく使いますが、
ギリシャ時代にプラトンが、
レトリックは事実をゆがめ、人を信じさせることのみを追求してる、
として批判を行っているようです。

で、ニセ科学が人を信じさせるときによく用いるのがレトリックだそうで、
上に書いたように、人間は無生物にも心があると思い込みやすいこともあいまって、
コレがよく効くそうなんです(笑)

例えば・・・

「言葉にはエネルギーがあり、それが水を変化させる」

という文章があったとして、
これを「、」で分けた二つの文章、どうでしょうか??
「言葉にはエネルギーがある」
これは正しい。言葉はモノを動かしはしないけど、人の気持ちを動かすことは出来ます。

「それ=エネルギーが水を変化させる」
これも正しい。
熱などのエネルギーは水に作用して、温度を上げたりしますよね。

しかし、よく考えてみると、
人の心を動かす言葉のエネルギーと、
物質を変化させる物理的なエネルギーと言うのは、そもそも同じものではない。
それを、レトリックによってあたかも同質であるかのように思わせるわけです。
人の心は、それを簡単に分けたり出来ません。
音楽がワインをおいしくさせる説のように、
心理的なエネルギーか物理的なエネルギーかきちんと区別しなければ、
正しい解釈は得られないわけです。

考えてみれば、
こういう手法は政治家もよく使いますよねぇ。
ダマシとレトリックはオトモダチ。
もちろん、すばらしいレトリックは我々の想像をかきたて、感情を豊かにしてくれますが、
(奥の細道然り)
騙すためのレトリックには引っかからないようにしなければ。
「、」の前後にある主語が「=」で結べるかどうか、まずはココをチェックですね(笑)
by nasuka99 | 2007-09-16 11:56 | psychology